(先に言います、まったく仕事の話は出てきません)
息子が小学5年生だった2年前、学校に行きたくない時期がありました。
朝起きると元気がなく、どうしたもんかなぁ~と悩んでいたんですよね。
まぁ色々なことありますし、
子供は子供でそんな時期もあるもんだよなと、心配していたんです。
ある日、お風呂で「どうやって潜るの?」って聞かれたんですよ。
え、パパ風呂では潜ることないけど?って思ったんですが、潜ったんです。
よくよく話を聞いたら、
プールが嫌すぎて学校行きたくない症候群
だったんですって。
おばんです、プールと友達イガリです。
(もっと小さい頃、川で遊ばなかったっけ?)
実は多いのでしょうか、プールが苦手な子供。

「待て」に従う我が家の忠犬。
僕たちの頃は授業でたくさんプールに入りましたし、
夏休みなんて毎日学校のプール通ってスタンプ押してましたし、
流れるプールに行けば逆行して監視員のお兄さんに注意されてましたよね。
知らないうちに泳げるようになってた。って感じだったような。
今は入る機会がほとんどないんですって。
コロナもありましたが、夏休みのプール開放は無し。
まぁそりゃ泳げないよなぁと。
日に日に元気が無くなっていきますし、
学校から足が遠のいてしまっていました。
でもまずいじゃないですか、泳げないって。
一緒に沢下りしたいですし、橋から飛び込みたいですし。
お父ちゃん頑張りました。
まず、水泳教室。
だめだ、幼稚園の子たちと一緒の初心者クラスに11歳はきっと色々苦しい。
本人も乗り気ではない、とてもとても気持ちが分かる。
男にゃプライドってもんがある。
次だ、お父ちゃんコーチ。
だめだ、まずお父ちゃんが誰からも習っていない。
そんなお父ちゃんが自己流で教えた先には、違う意味の最高傑作が生まれてしまう。
そしてその流れが代々続けばイガリ家の末代は恐ろしいことになる。だめだ。
最後だ、個人レッスン。
ここでまさかのカードを切る。
個人レッスンだと?
いいんだ、父は穴が開いた靴下でも。
いいんだ、父はしょうゆが染みちゃったTシャツを買い替えなくても。
いいんだ、予算は正しいところに回すんだ。家づくりと一緒なんだ。
(実際には破格で引き受けて頂くことに…)
何度か書いていますが、息子の名前は『結人』。ゆうと。
人の縁に結ばれるよう、人の縁を結ぶよう願ってつけた名前です。
ここで彼の能力が発揮されるのです。
水泳楽しい!
と初日に言わしめ、その1年半後には、
水泳部かバスケ部!
と悩むほど水泳に引き込んだ先生との出会いがありました。
週に1回の夜間、新田東のプールに通い続けた1年半。
みるみる成長する彼の姿はたくましかったですし、
父なんてあっという間に追い越されてしまいました。
あの頃泣いていた自分は何だったんだろうと不思議がる息子の笑顔は
自信に満ちていて、しょうゆTシャツもなんだか誇らしくて。
『お兄ちゃんホントに上手になったね』と職員さん達も目に留めてくれていて、
お父さんも一緒に泳ぐなんてね!
そう、
お父ちゃん頑張りました。
先生と生徒。の近くにいるおじさんとして1年半。
ずいぶん遅咲きで水泳を習い出したおじさんと思われたことでしょう。
親子を装いレッスン盗み聞きしているおじさんと思われたことでしょう。
格好だけ本格志向だけどずっとクロールしか泳がない人だと思われたことでしょう。
いいんですいいんです。
凍える雪の日でも、台風直撃の嵐の日でも、
日焼跡が恥ずかしい夏も、ゴーグル忘れた春の日も。
親子は頑張ったのです。
1000m泳げた日は忘れません。
父は終盤沈んでいました。
5年生の夏、不安だらけで始まった水泳特訓は息子を変えました。
1年後に学校のみんなを驚かせるという目標は高く思えました。
6年生の夏、毎朝笑顔で学校に向かう背中は大きく見えました。
1年経っても父ちゃんの身体つきは変わりませんでした。
今は中学生活を優先して、水泳から離れることになりましたが、
人との出会いって本当に奇跡のようです。
あのとき、連絡をしてみた自分の勢いを褒めてあげたい。
妻も息子も褒めてくれませんから。
泳げるようになった息子ですから、できる遊びも増えているはずです。
部活で少し忙しくなり、休日の過ごし方も変わってきましたが、
一緒に海に湖に行って違う世界を見せたいもんです。
楽しみにしてるはずだ。
待ち望んでいたはずだ。
だって男の子は水に飛び込みたい生き物なのだから。
「SUPやっちゃうか!」

中1男子が誰しも憧れるプカプカ浮かぶヤツ
「いや、大丈夫かな。」
え、水嫌い?
うーん、子育てって難しい。
我が家は今日も平和です。