親の呼び方って色々あると思うのですが、
子供の頃は「パパ、ママ」が多いのでしょうか。
私はその記憶がなく「お父さん、お母さん」でしばらく繋いだのち、
「親父、おふくろ」を一切経由することなく、
「いさむ(さん)、みちこ(さん)」にジャンプアップした人生となりました。
おばんです、息子にはなんて呼ばれるのだろうか….イガリです。
さて先日、唐突に妻から「コンポスト」に興味があると言われました。
つまりですね「作ってけろ」ということなんですね。
黒土などを入れた箱に、日常で出る生ごみを投入すると分解されるというやつです。
正直な話、普段キッチンに立つ機会の少ない僕にとって、
生ごみの量って全くイメージ出来なかったんですね。
どでかい箱が必要なんじゃないかしら?と戦々恐々だったのです。
70cm×50cm×50cmくらいのサイズの木箱を作ることで落ち着いたのですが、
家づくりにおいても、ご夫婦間であったり家族間であったり、
それぞれしか把握していないことって多いだろうなぁと。
家事のような作業的なことも、居心地のような感覚的なことも、
互いにやんわりとでも把握していると、よりよい家づくりになるよなぁと思ったり。
妻に聞いてみると、生ごみを全部投入できるわけではないようなのですが、
それでもずいぶんとごみの量は減らせるようで、
分解された生ごみは土の栄養に変わり、畑や庭に利用できると。
利用しないにしても土の量は変わらないので箱から溢れることもない。
なにより良いなと思ったのは、
「ごみが減り、栄養が増えた土が出来る」といったことはもちろんですが、
そうした行動を日々の楽しみにしようとする妻の考え方でした。
ごみを減らす努力をする。
肥沃な土を作って野菜を一生懸命育てる。だったり、
ちょっと頑張らないと続かないなぁってことあると思うんですが、
妻の様子から察するに、頑張ろうという考えはさらさら無くて、
生ごみ分解されるの楽しそう
という興味というかワクワクが妻を強く突き動かしていると思ったんです。
これって恐らく、ずーっと続けるだろうなと思ったんですね。
休日の朝、何も置かれていないテーブルで静かにコーヒーを飲むことが幸せ。
そう思えればきっと何の気なしにテーブルの上を片付けるでしょうし。
日中に曇りない窓から入ってくる光の下で家族でゴロゴロする時間が幸せ。
そう思えればきっとふとした時に窓を掃除するでしょうし。
なにか「頑張らないと、やらないと」って思いながら暮らすと、続かないし疲れますよね。
でも「こうすると幸せ」って思いながら暮らすと、それに繋がる行動を楽しく感じられます。
「ちょっと先の幸せ」って大切だなぁって思ったんです。
僕はよく窓掃除をするんですが、
特に冬なんかはカーテンを開けて太陽の光をたくさん取り入れたいんですね。
でもそれ以上に、綺麗な窓から入る光が好きで楽しみだから掃除をする。
全く苦じゃないんですよね。
「ちょっと先の幸せ」があると分かっているからだと思います。
気分が良くなると分かっているからですね。
ただ、すかさず愛犬リクが窓を舐めまわすので、
その幸せが儚いことも知っています。
現実って厳しいですよね
話を戻しますが、妻ご希望の木箱は家にあった廃材で製作しました。
(外に放置していたので)いい感じに古びていた彼らを再利用し、
息子を習い事に送るまでの数時間で大突貫工事。
我が家のこととなると、質より早さを重視してしまうところは毎度反省ですが、
「頑張らないと」って思っては続きませんから。うんうん。
嬉々とした表情で生ごみを投入する妻の姿は幸せそのものだった、と思うようにして、
週末のお父ちゃんDIYは幕を閉じ、いつもより美味しい晩酌となったのです。
そうですそうです。
イガリ家は随時見学会をしていることを思い出しました。
ちゃんと生ごみが分解されていないと、匂いだったり虫だったり、
せっかく来ていただく皆さんにマイナスに映りかねません。
やっぱり、「頑張らないと」いけないのでしょうか…..。
まぁそれはそれで楽しくて、幸せを感じることに変わるかもしれませんけどね。
我が家は今日も平和です。


