「今日はね、新しく来た教頭先生が教室に来てね、ギター弾いてくれてUSA踊ったんだよ。」
登校2日目。
知らないことだらけで、知らないことが多いと不安になりやすい息子が笑顔で教えてくれました。
今年赴任された教頭先生が、子供たちと遊んだみたいです。
ギター弾くんですって。すごい。
正直1日中ソワソワしていた僕です。良かった良かった。
小学校に入学しました。
僕の母校でもある小学校に、僕と同じ通学路を歩いて登校しています。
自分の背中よりも大きいランドセルを背負った姿が見えなくなるまで、2階の窓から見つめてしまいました。
小学校での思い出の一つを紹介します。
僕の母校にはブラスバンド部があるんです。(あれ?どこの小学校にもあるんですかね?)
4つ上の姉が所属していて、確か4年生になると希望者は入部出来るっていう仕組みだったんです。
僕が4年生の時もう姉は卒業していなかったんですけれど、中学校もブラスバンド部が強くて姉はそのまま続けていました。
それでですね、まぁ姉の影響だけで生きていた僕ですよ。
「猪狩」っていう珍しい苗字ということもあって、「弟だな!」っていう顧問のO先生の誘いもあって、
姉の影響も存分にあって、ブラスバンド部に入ったわけです。
お昼休みとか、放課後とか、練習があるんですもちろん。
図書室の前に広いホールがあって、そこで新入部員は練習したんですが、他の子は外で遊びまくってる。
そして、当時女の子が大多数で男子は数名。
男の子だから出来る楽器もあったんでしょうけれども、「ブラスバンド=女の子」っていう空気があって、、、
先輩に男子もいないし、、、つらくなってしまいました。
自分も仲良しの友達と一緒に外でたくさん遊びたい。。。
自分からは言えない。。なんだか色んな人を裏切ってしまう気がして。。。
当時そんなことを思っていたような…気がします。
母親にやめたいということ、言い出しにくいということを相談すると、
「よし、やめていい。今からO先生に言いに行くから。あんたは車で待ってなさい。」
と言われ、職員室へ向かった母親を学校の駐車場で待っていました。
(これで、悩んでいたことが終わる)
そう思った時です。
……………………………………………。
(あ、お母さん階段から降りてきた!)
(うわぁ…お母さんの後ろに先生ついて来てるぅぅぅぅぅ……。)
(お母さん、思ってたのと違うぅぅぅぅぅぅ…。)
……………………………………………。
いやぁ、ごめん!先生来ちゃった!みたいな顔で向かってくる母親は目に焼き付いています。
「あきひさ君本人から言葉を聞きたいです!」
というO先生の熱意(素晴らしい先生です)で、1対1の話合い。
決して引き留めることはせず、学校生活を楽しむんだよということを言われたような記憶があります。
言えずに悩んだこと。
自分で決断したこと。
自分の言葉で伝えられたこと。(たまたまだけど)
そんな経験をした一番古い記憶かもしれません。
そのO先生はその後色々な小学校でご活躍され教頭先生となり、
そして今、息子とUSA踊ったんですって。
すごい縁。
息子はユウト、「結人」と書きます。
人の縁に結ばれるように。
人の縁を結ぶように。
そう願ってつけた名前です。
やるじゃないか結人。
O先生、息子は「NO」と言えるようにご指導お願いします。